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2004年6月13日 講演会のご報告
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「コーディネーターとして働いて」
講演者 安藤寿子さん
茨城県立あすなろの郷 地域生活支援センター 療育担当コーディネーター
「地域の中で生きる」
講演者 岡崎幸子さん
社会福祉法人あひるの会 (千葉県習志野市) 理事長
※講演会の内容詳細は、この下の、「講演会レポート」(三吉聡子さんご寄稿)をご覧下さい。
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6月13日(日)CASE Japan 主催 講演会レポート
当日は、前夜からの雨が残るあいにくの空模様だったが、会場には20人あまりの人が参加した。進行役は、臨床心理士・臨床発達心理士であり、CASE Japan理事でもある高橋ゆう子氏が担当し、まず、代表の吉田明子氏の挨拶から始まった。「大人からのほんの少しの手助けで、子供の出来ることが増えていく。それを通して子ども自身も成長していける。その意味で、講師のお二人は、豊富な経験と現場の知恵をお持ちです。今日のお話を、皆さんの今後の活動にぜひお役立ていただきたいと思います。」
講師の安藤寿子さんと岡崎幸子さんは、代表が言うところの、『周囲の大人が手を差し伸べること』の重要さを十分に理解し、それぞれの立場で実践しているおふたりである。
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安藤さんの講演、『コーデュネーターとして働いて』では、福祉の現状、コーデュネーターの果たす役割、今後の課題などについて具体的な話が続いた。『コーデュネーター』という言葉には、『コーデュネート(調整する)する人』という意味があるが、福祉の分野での『コーデュネート(調整)』とは、一体どんな仕事なのだろう。
安藤さんは現在、療育担当のコーデュネーターとして、地域の生活支援センターで子供たちに関わっている。センターでは、(1)24時間受入サービス(緊急ステイ)、(2)宿泊支援サービス、(3)外来療育、(4)訪問療育といったさまざまな支援を行っており、これらのサービスはセンターに登録した人々に提供される。そして、センター同様、安藤さん自身のコーデュネーターとしての仕事もまた多岐にわたるという。
まず、乳幼児が対象の場合。1歳半検診、3歳児検診などで子供に課題があると判明したときには、保健所が対応し、直接子供に関わるのは保健士である。コーデュネーターはその保健士たちからの相談を受けるという形で、間接的に子供たちに関わっていく。保健士の中には、対応に苦慮したり、悩みを抱えたりしている人も少なくない。こうした場合には特に、コーディネーターのアドバイスやサポートが大きな支えとなる。
幼稚園児、保育園児などの未就学児童の場合には、コーデュネーターは直接子供たちに関わる。1ヶ月に2回の割合で小さなグループに分けて療育を行っている。
学童期になると、授業中じっと椅子に座っていられないなど、より具体的な問題が発生する。そのため、一人一人のニーズに合わせた対応が必要となる。例えば、多少課題のある子供が地元の小学校への入学を希望するが、特殊学級がないとの理由で受け入れてもらえない場合。コーデュネーターはまず、乳幼児の頃、その子供を担当していた保健士や保育士などに連絡する。そして協力し合って、教育委員会や教師たちと保護者との間の橋渡し役を務める。また、一緒になって解決の方法を見つける手助けをしていくこともある。加配の教師を置くことで、本来は無理と思われた地元の小学校への入学が可能になる場合や、学校内に委員会を立ち上げることで、課題のある子供たちの教材作りや、指導の方法などの検討が行われるケースもあるという。こうした動きの陰にあるのが、安藤さんたちコーデュネーターの存在なのである。
問題を持つ子供の親たちの希望は、いつもその通りに叶うわけではない。状況によっては、親が学校側の対応に不満を持つようなことも起き得る。しかし、どのような場合であっても、「校長先生をはじめ学校側の関係者たちと課題を持つ子供の親たちは、対立関係になってはいけない。」と安藤さんは言う。両者は、ともに考え協力し合う関係を築かなくてはならない。今、その子供にどんな教育が必要なのか、どんな教育が出来るのかを周囲が一体となって考え、取り組んでいく。その手助けをするのがコーデュネーターの役割なのだという。
もしかすると、コーデュネーターのこうした取り組みを、「自分の子供のことだけを考えている、ワガママな家族を支援しているに過ぎない」と、誤解する人がいるかもしれない。しかし、そういうとらえ方は、あまりに短絡的である。「個々の事例を解決するための一つ一つの努力は、長い目で見れば、地域全体の福祉環境を発展させるきっかけとなり、後に続いていく人々の活動の支えにもなるはず。」と、安藤さんは言う。将来、その地域の福祉予算が増えることにつながり、あるいは新しい福祉制度を作るための後ろ盾になるなどの、目に見える結果にもつながるだろうというのである。
安藤さんは最後にこう締めくくった。「あるひとつの事例が解決へ向かっても、それはひとつの問題の解決に過ぎない。それを別の事例の解決へと結び付けることができなければそれ以上の広がりはない。ひとつの解決が、周りの事例の解決につながり、さらに後に続く事例の解決へと道を開くことが出来るよう、自分たちは取り組んでいる。こうした動きが、一地方から近隣の町や市へ、そしてさらに広がっていくことを切に願っている。」と。
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次の講演、『地域の中で生きる』は、社会福祉法人『あひるの会』理事長である、岡崎幸子さんが、障害を持つ子供の親としての自身の経験を紹介するものであった。しかし、岡崎さんの歩んで来た道のりは、ひとりの母親の個人的な体験談という枠ではとうていくくりきれない。岡崎さんのお話は、同じ悩みや現実に直面している親たちに勇気と励ましを与えるものであった。
『あひるの会』は、千葉県習志野市において、障害者就業・生活支援センター『あかね園』を運営している。『あかね園』では、知的障害を持つ子供が学校を卒業してからも地域で暮らしていけるよう、働くための支援や訓練を行っている。昭和62年の開園から18年で、延べ100人の就職を達成。これは千葉県では一番の実績であるという。
「学校時代はあっという間に過ぎる。」と岡崎さんは言う。そもそも『あひるの会』を作ったきっかけは、養護学校や特殊学級などを終えた後、障害を持つ子供たちが、親がいなくなっても地域で暮らしていけるようにという願いから。そのためには、その人の能力に合わせて働いていけることが不可欠である。スタートは市川市と船橋市の障害を持つ子供の親たち20人ほどの集りだった。当時は、学校を卒業した後、次に子供たちが行けるところはどこにもなかったという。そういった現実を前に、親たちが途方にくれただろうことは想像に難くない。そこで、岡崎さんたちは子供たちが地域で暮らしていくために必要な、社会に出て働くための訓練の場を創ろうと歩み出していった。それが現在の『あかね園』の始まりである。
『あかね園』では実際に個人の能力にあった作業が行われている。働きに応じて月給や賞与も支払われる。岡崎さんは実際に「お金を稼ぐ」ことの大切さを強調する。給与に直結する勤務評価表や、皆勤賞、就職を祝う会なども、働く意欲を高めるのに役立っている。もちろん最終的には就職させることが目的であり、子供たちは履歴書の描き方や就職面接の受け方などについても学ぶ。社会人としてのマナーの指導も受ける。「うちの子は障害があるから…」という言い訳は、外では通用しない。「地域はそんなに優しくはない」と岡崎さんは断言する。それは、生活の中で岡崎さん自身が肌で感じてきたまさに実感なのだろう。だからといって、「社会が悪い」と不平ばかり言っていても問題は解決しない。子供たちにも適当なところで社会と折り合うことを教えていかなくてはならないと岡崎さんは言う。大きくなってから教え込むのでは、大変である。本人にもプライドがあり、親の思う通りには聞き入れてくれない。だからこそ、小さい頃から教え導いていくことが大切なのだ。
『あかね園』では生活実習の中でその子供に応じた調理の指導も行っている。何を作るかではなく、親の手助けなく、自分の食事を自分で用意できるようになることが目的。障害を持つ子供たちはとかく家では、「とのさま」、「おひめさま」扱いされがちという。親も、つい手を貸したくなるが、それではいつまでも本人に自立する気持ちは芽生えない。自立は子供ばかりではない。親もまた子供から自立し、親子ともども一人の人間であることを自覚する機会は必要である。『あかね園』には、「生活ホーム」といって、短期間でも親元を離れて生活する場も用意されている。出来ることは何でも自分でやらせる。逆説的だが、「やってあげない」ことが親の本当の役目なのだという。
『あかね園』は、保護者たちの頑張りによっても支えられている。バザーやコンサートなどを催し、収益を上げている。また、1週間に1度は園に出かけ製品作りにも携わるという。こうした活動には、すべての親たちが関わる。そうして得た資金は園を支える一助となっている。また、『たんぽぽ会』という無事に就職した子供の親の会もある。就職さえすれば終わりというわけではなく、むしろその後、会社や仕事にうまく適応できるようにという支援も必要になる。実際、就職できてもリストラやレイオフなどの対象になることもある。また、開園から18年たった現在、福祉的就業者が加齢のためにそれまでの仕事を失うこともある。こういった人々へのケアという、今までになかった問題も発生している。こうして次々と生じる目の前のニーズに、ひとつひとつ応えていくことが必要なのだという。
岡崎さんは最後に、障害児を持つ自分のような親たちが、うちに閉じこもらず外へ出て行くことの重要性を語った。外へ出る。人との関係を作る。仲間を作る。例えば、「学校の役員を買って出る」、「子ども会のお世話をする」、「町会の集まりに顔を出す」…そうしていくうちに次第に周囲の理解を得ることができる。もし、失敗することがあっても、一生懸命にやった結果なら必ず将来につながる。他人や行政を当てにするのではなく、「自分がやる」ということ、「今出来ることを一生懸命にやる」ということが大事なのだと。
およそ1時間の講演は、「子供と親は長い付き合いになる。完璧になど出来るわけはないのだから、あまりくたびれないように。」というユーモアを含んだ温かいメッセージで結ばれた。
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最後に、質問の時間が設けられた。質問はないかとの進行役の問いかけに、最初は沈黙が流れたが、ある質問をきっかけに次々と手が挙がった。それは、「子供に障害の可能性があると感じられるが、親にはどのように説明したらよいだろうか。」という、学童保育の先生からの質問であった。また、保育士、学習塾の講師など、保育や教育の現場で働く方々からの質問も同様の内容だった。障害児とのボーダーラインにいると思われる子供や、高機能障害を疑われ、不登校になっている子供などについても、どう対応したらよいか、親にはどのように伝えたらよいのかといった質問が続き、安藤さん、岡崎さん、吉田代表らがそれぞれの立場から意見を述べた。しかし、話すタイミングの問題、表現の仕方、あるいは、話す必要性の有無など、障害の可能性に気づいていない親に直言することの難しさも同時に再認識された時間でもあった。
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<後記>
近年、少しずつ開放される傾向にあるが、学校は、まだまだ一種の閉ざされた世界である。外部のものを容易に受け入れない壁を感じることもある。そんな場所へ新たに入り込んで、課題を持つ子供たちのために何が出来るかを問い続けようとする安藤さん。そのお話には、聴く者を圧倒する力強さがあった。
岡崎さんは自分自身について、「障害を持つ子供を持ったことで、自分の人生はとても充実した、エキサイティングなものになった。もし、そうでなかったら、人生はとても退屈でつまらないものだったに違いない。」と語った。それが、強がりや虚勢ではなく、本心からの言葉であることは、会場にいる全ての人に伝わったことだろう。障害を持つ子の親としての『理想像』というものがもしあるとしたら、岡崎さんの姿勢と行動力は間違いなくそのひとつに揚げられると思った。
<文責 三吉聡子>
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担当者より: ご聴講いただいた皆様、誠にありがとうございます。
初めての有料講演会に参加者を集めることができるのか、正直に申し上げてとても危惧しておりましたが、おかげさまをもちまして、20名余のみなさまにご聴講いただくことができました。
今回ご講演いただいた安藤さんと岡崎さんは、私たちの活動対象としている「特性を持った子ども達」との関わりが深く、とても豊富な経験をお持ちで、ご講演内容は、私どもの期待通りのものでした。
特に、子ども達を相手に現場でご苦労なされている教師や保育士のみなさまにとりましては、この講演が有益であり、そして、みなさまの今後のご活動に役立つことと確信しております。
今回ご聴講いただけなかった皆様も、次回以降の同様の催しには是非ご来場いただけますようお願い申し上げます。(吉田明子)
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